『愛される事で埋まる部屋』

ごあいさつ

聖霊の内在から満たしのタイミングのコントロールは出来ませんけど、もし出来るのならそれは自分自身の黙想や祈りや求道の中で添われますと今の私の感性では文章でお伝えする事が適います。それでその一つ兄弟愛に御座います洗礼式は素敵です。拝見していますと私まで何度も洗われる思いとあ~、ここまで来られるのに。。。本当に色々な苦難を通られて来られたのでしょうねと。。。本日のお天気の様に少し曇った教会の窓を拭く手先にまで活けるを頂いております。

ごあいさつ

今回の記事のメインは『愛される事で埋まる部屋』に至ります。乱文ではございますが、お付き合い頂けましたら嬉しく思います。

既に得たものをさらに得ようとは思えず、たとえばなにがしかがそう見えますのはまだ既に得たとは思っていないからだと考えられます。人が勧める『離れるべきこんな人やこと』律法でも教えでも履修でも神はその人を『離れるべきこんな人やこと』を得たと思われていないのでその方からは離れてはいません。

もし離れているのなら今の私はなく辻褄が合わずまた神は『人と神によるこの世界の完成』を目指しておられますから片方だけでは既に多くの被造物により明かされている通り合理性が失われています。繰り返しですが人が人から離れようとも神は離れません。もし私の弱さ故に、私が離れたとしましても神は離れない。私ではなく主は神と人との世界は未だ先で得たと思っていないのですから。

では、神は何時?得たと思われるのでしょうか。。。そのように求めていますと私の目的は神が思う『その何時』となりますので今ではなくなり今の目的もその何時の手段に用いられて参ります。それにより少しづつ時間の束縛や達成欲が緩んでくれております。いわば目的が希望である場合はさらに顕著に現れて頂けますはまるで物質の半減期のようでございます。

希望によりますと遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみ、肉の欲 目の欲 暮らし向きの自慢も時に神は全て手段として用いておられ、これらと共にしている方とも神は共にされる愛でもあります。また、これらに私の目が目的に化することなく裁かなくていい様にととりなしておられますのは、すでに私も善悪を知る木の実を取って食べる本質が備わっていますし、これらは全てその延長線上の行動そのものだとわかるからで御座います。また全ての涙を拭われる事の出来る方を全て知る事が出来ない私は全ての涙を拭われる方法が今はわかりませんがそれこそが希望でもございます。

ですから尚、私の国籍は天にあり神の居ない地獄には絶対に行ってはダメで今時間の生でありましたら取り戻せますが地獄には取り戻した後の置き場所すらありません。神の不在は絶対的聴き手(聞いてくれる方)がもう居られないのです。そこは神故にあったものが皆無いということが私の罪故に今頂いているこの身でも感じ取る事が可能だからです。今在るこの肉体や霊で2通りの選択肢が在る事が私にもどの様な御人にも伝えられております。

しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。ピリピ人への手紙3:20

聖書

愛する事と愛される事の相違

もし人が 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみ、肉の欲 目の欲 暮らし向きの自慢を愛したとしても人は自由意志により愛する事は出来ますから愛する事が出来るという贈り物の肯定であって否定ではありません。しかしながら遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみ 肉の欲 目の欲 暮らし向きの自慢はこれだけで、または、これらは人を愛しませんし、愛せません。

こちらの動画にて愛の方向性が素晴らしく表現されておられます。ありがとうございます。

愛する事と 愛される事は その方向性が違っていて人は愛されていると感じる事が極端に少ない理由としては既に得た人やものをさらに得ようとは思い難い傾向により愛するだけでは『愛される事で埋まる部屋』の住人には成れないからであると考えられます。そうしますと神によりあなたは『愛されている』を伝える足は神の御手がイエスの洗足のように必ず添い備えて頂けるのであり全ての方の足に添えて頂く主の御手を信じます。

では肝心の愛されるですが『愛される』ならそれはイエスが教えて下さいました通り、神故となり愛されるが人故ならもう満ち足りているはずですから『愛される』が人よりも先立っていて離れている事は今の世を見渡しても明白となります。それでも愛はさらにご自分が得たものを得させようとしてくださいますから(聖書の約束では永遠の命に至る実を皆食べれる約束がございます。)

この実感は本当で生きておられる愛は意志として働いておられ多くのキリスト者の方が証ししている通りでございます。時にそれは自分の限界を優に超えて頂ける恵も付随しておりまして末座にある私にもその恵み。2000年前の魚とパンの給食が今でも届いているのであります。

愛による満たしが愛される事で埋まる部屋を満たしてくださいますように。エデンにありました取って食べた空洞が埋まります様に。^^) _旦~~ こちらの満たし溢れ行くおだやかな川の流れを感じる曲調が好きです。命の泉から流れ出る川のようでイエスの誕生を賛美しておられます。

御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。ヨハネの黙示録22:1-2

聖書