聖書により『愛見積もり』と共にします

『愛見積もりを』こちらの言葉と共に歩んで参りました

画像は13年程前でしょうか

当初から愛の実践と掲げましても想いあれどそう簡単には及べずに

相見積もりとの語呂合わせの色合いが強かったのではないかなとおもわれます。。。

しかしながら

日々熟成されていく様々にありますように

『愛見積もり』の中には

普段皆様が御口にすることの無かった食材や楽しみを

私共だからという理由にありまして

『先に私共に振る舞ってくださっている』

こちらの感覚を強く抱く様に聖書の御言葉に導かれました

さながら

ご老輩がお孫様の訪れを日待ちとされまして

幾ばくかの備えを準備されているかのように

さながら

ご老輩を覚えようやく溜まった陶器の貯金箱へ

大きく振りかぶるお子様のように

こちらの情景が

『愛見積もり』の中に溶け込んでいくのを覚える次第でございます。

そうでありますから

もはや『愛見積もり』の中にありましては

先に頂いたものと私共がお応えするものの2つが混じり合い

共にされておりますので金額の大小が働く機会は失われております。

これからも益々

『愛見積もり』と我々共々宜しくお願い申しげます

 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:9〜10)

新約聖書