失っても失ってない事

街を通り過ぎていますとそこかしこで建て直し工事や解体工事を目に致します。数年前までは、いや数十年前まではその様な空き地や造成中の土地を見ますと壊されていく感覚や無くなってしまったという感覚よりも次は何が建つのだろう・・!という期待の方が心に太く働いていたのを覚えています。

久しぶりに街の変遷を眺めながら引っ越しのお手伝いもありバイクを運びつつ街並みを拝見していたのですが、ああ。そういえば昔の自分は期待はしていても失望は見ていなかったのだと思い馳せておりました。

体の衰えや仕事の盛衰が誰の心にも横たわるのでありますけど、わたしの場合で恐縮でございます。わたしにも仕事が暇になるという事によります焦燥も確かにありましてそれなりもがいてはいるのですが、それとは別に仕事が暇になったことによって娘2人との距離と家内との距離が歴然として深まっているのを感じずにおれません。

長女は私の抱擁に憩い次女はまた私の冗談にお腹をかかえ口角がひきつるまでお笑いになり、家内は耳を貸してくださる機会も増しておりました。特に独立を果たし頑張っている長女を包みますともう何とも言えない心持ちに恵まれます。(守っているのか護られているのか。。。両方ですね。なので抱擁文化圏の方々のお気持ちが伝わって参ります。。。)

以前の様に忙しく立ち回り予定を組む事と雨天を睨むような生業だけを続けていましたらこのようなまんべんなくの変容を頂く事も無かったのだと感じております。

そのような2つの神様の意図『主は与え主は取られる主の御名は褒むべきかな』こちらの聖書の御言葉の成就をも体験としてしっかり頂けた事を嬉しくおもっている次第ですので、街にある空き地、この国に出来た空き地にも経済の衰退という面だけでなく土地を休ませている機会も必要なのだと捉えてみては、また主から預からせて頂きました兄弟姉妹であり家族に馳せている新緑の5月でございます。

少し逆に辿ります。年輪も波紋も一番小さな輪から始まっておりますので『子供の様に信じる』事も捨てない様にさせて頂こうと思いつつ休めることを覚えている土地が次の土台となりますよう御国へと歩ませて頂きたく存じます。

^^) _旦~~