鶏の頭と強い霊敵で希望と共に飛んでゆく

^^) _旦~~ 今回の記事は何故鶏の頭が動かないのかを考察した内容から派生した日記でございます

鶏の頭がぶれない理由としまして、鶏が生存していく為には捕食が必要ですので地面の物を食べるにも木にくっついている昆虫を食べるにも口に一番近く捕食に都合よく出来ている目がぶれると飢え死にして絶滅してしまうからでありますね。頭が動いて視界がぶれると昆虫や種も景色と同化して捕らえ難くなるからであります。

この特徴は鳥類の特徴でもありますのでそこから考察出来る事なんですが地面に種や昆虫がいる状態から態々何も無い空に行こうと進化する必要が生まれないので偶然に鳥だけが翼を持つ可能性は無いと考えられます。偶然翼を持とうとするなら豚もライオンもサイも象も翼を持とうとした痕跡が残っていてこそ偶然に鳥だけが成功していると考えられますが実際には母数がありませんからそうではありません。また保身の観点だけでしたらなまけものやコアラは空を求めず極度に動かない事で身を守っていたります。なまけるにも忍耐が必要なくらい♪

ですから最初から鳥類は視界がぶれて捕食出来ずに絶滅してしまわないように創られている可能性の方が圧倒的に事実に近いと考えられますから私は聖書の神様がそのように設計されたと確信しているのであります。もう信心じゃないです(笑)認知と確信でございますから反対意見に反応しません。

それで鳥のお話は終わり。

昨日の穴の開いたイエスキリストとそれに倣う大木性を感じさせてくださった信仰者の先生方も穴の部分で自分の罪も御人の罪も捉えますので反応する事が出来ないところまでの信仰に育っておられる訳ですから私もと倣い続けようとしています。

(空いた穴に御霊の風を受け飛びたい♪)

こちらを別の観点で実践しますと就労に燃え100万円貯金がたまった時の喜びが、頑張ったけど100万円まで貯金が減った頑張りに勝るのは、全く所持している金額は同じでありましても希望が共にしていないかしているかの違いでもありますから、幸せとは厳密にはお金ではなくて希望でもあると私は捉えています。

ですから難しいのですが頑張ったけど100万円まで貯金が減った、もしくは無くなった、もしくは-になった、その時に私が見ようとしています事なんですけど、

戦った相手が強かったと認める事でもあります。(私の場合の戦いは主に霊敵戦いでサタンや悪霊と言われている私と同じ被造物でありますが)戦った相手や勝者に対して憎しみや羨ましさだけではなく、出来るだけの敬意を持つときに右肩上がりと右肩下がりのバランスが取れるのではないかと実践しています。(老害と自己中心的にまたは相対的優位性を持って揶揄する事は簡単ですけどその働き掛けてくる力としての老害は強いんです。私もそろそろそ老害)

(ややこしいのですが、これに対抗しようとする霊敵。実を言いますとサタンは人間より弱いふりをして人間の傲慢を引き出そうともしています。追い出された悪霊がまた仲間を増やして戻って住むと教えてくださる記述も聖書にはございます。)ですので今は、頂きました聖霊と私で対抗させて頂いていましてその雰囲気はデスノートの世界観をお借りしますといわばL単体ではなくメロとニアでしょうか。独りの感情だけでは確実に負けるからでございます。

(元も子もありませんが、肉の欲ではありませんが霊的戦いに最近も独り感情に持っていかれまして負けました。SNSも強いのですがSNSとかじゃないです・・💦なので強いと認める所から再スタートでお祈りする次第でございます。ここに右肩下がりでありましても全体を知っておられる希望が共にして頂けるからでございます。<(_ _)>)

そのような訳でして、いつまでも残るのは 信仰と希望と愛であると確信しております。読み返しますと駅のホームの様なガヤガヤした文章でございますが。今回もお付き合いくださいましてありがとうございました。