花ビラ

口寄せと言いますのは死者との交流でありますね。こちらを危険視しています理由でございますが、たとえば。。。

死者と交信出来る方がほんとうに居たとするじゃないですか?ここではご当人の自覚を伴ってです。その場合にまず考えられる事は死者は生前愛していた方に何を告げたいかともうしますと。これは推測であくまで自分の場合ですが自分が死んだあとの自分のいる場所です。まずこれです。聖書ではラザロさんと絡みましたお金持ちと同じ。

想い出話はしませんし涙も誘いません。絶対に全世界に今、自分が居る場所を告げようとします。そして今自分が辛い場所にいても辛くない場所にいてもそれを家族に告げる方法が死んだ方より圧倒的に少なすぎる霊媒師を介する手段しかない場合、霊媒師は死んだ方におそらく取りつかれて御自分の時間は1秒も持て無くなります。その理由は億単位で順番を待つ死者が居て、それでも順番を待たない方も居て当然とし、憑りついてでも伝えようとする方が後を絶つ事は無いからです。少なくても日本では一年で約20,000件はあるでしょう。そこへ復讐や怨念が絡みますともっと膨大な数字の死者魂となります。

なのにこちら側の人間の都合よく、ある時間、ある場所、ある金額で口寄せられるのは自然の摂理に反していまして、本来であればオイルショックトイレットペーパーわやくちゃ位の我れ先感が足らなすぎるからでもありますね。では一体そんな綺麗に納めて交信している相手は誰なのですかという疑問について聖書は記してくれていまして、それは実際の膨大な死者ではなく光のふりをする悪霊という事になり、今のところ被造世界では彼ら以外の名が挙がっていないのであります。

ですから僕は口寄せはしませんし本当に危ないので祈り続けております。何故危ないのかはこの身に在りて解っているからでキリストの御霊がなければ僕も負けますし見抜けないことも頻繁に起こります。霊的戦いが増せば増す程、敵にマークされてきているのですから、聖書の世界観ではこの世界は人間の思考や人生観や学校教育、既存文化領域が創ったものではなくて創造主が言葉で描いて創った世界だと伝えてくれています。

いわばこの場所、この地球はとてつもなく大きな博物館や美術館でもあり、動く絵であったり味のする写真だったり実際に目でふれて触れる言葉であったり設計の意思がはっきりと宿る神様が創られた作品に私達は全員招待されていると解り得るのであります。

人はご自分の子供を捧げるに値すると思う程の準備と作品を備えて招かれている賓客なんです。ですがご自分の子供を捧げても招きたいと思った人が居ないので理解がしんどいのと同じくして実際は現在の人の本質だけでは楽だけだと放蕩し堕落しますから、これから生みの苦しみを伴いますもののもっとよくなりますからと招かれ続けていまして、還ってきませんかと何時もお伝えしいているのがキリスト者の辻褄が合う世界観でして神様からもらったビラをお配りしているのであります。

それはまるでかつてのビラ配りに似ています。ご自分で擦ったり、または番組を創られたり、または音楽を伴って届けたりされている、音と手垢と笑顔が生きて、一枚一枚がしっかり働いているビラでございます。受け取るも受け取らないも誹謗も非難も御自由ですが、聖霊の風を受け吹雪く様に配られているこの世界がその一枚がたとえ届かないとしましても好きになりました。

ですので、この世界観から世界をみますと神様が私達を愛おしくみておられると解りますので、その理解をくださった聖霊の愛によって隣人に触れてみようと動くとき神様の愛の香りが互いの中で漂います。イエスという仲介者がおられますから対等な香りなんですね。そこには人の視点によります口寄せや占いの様な強制力ではなくて神様の視点によります開放力があるからでございます。

^^) _旦~~< 全ての方は神様の作品です。丸っこく落書きされている作品の壁も誰かの作品と同じだとおもっております。