私の履歴書(証)
たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
新約聖書
『ピりピ人への手紙 2:17』
『初めまして屋根工房きのした責任者鈴木大輔と申します。』
こちらの記事は、私個人の半生を記す記事ともなります。よろしければお付き合い下さい。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
ホームページを作る前の屋根工房きのした
このホームページを作り出した時期は2011年の6月位だったと思います。それまでの私共は新築業者の孫請けを頂いたり日当にて他店の応援工事に行ったりを主に繰り返しておりましてその日の糧を頂くという生業で御座いました。
当時の目立った宣伝媒体はタウンページやチラシしかなく独自受注のみでの生活は非常に困難な業種でもありました。(今にしてみますと全くその一面ばかりとは言い難いのではありますが阪神淡路大震災以降の市場の冷え込みも相まってか一つの仕事の重さがそのまま生活の重さに繋がっておりました次第です。)
私共の生業は一般的に掲げられる共存共栄との表看板とは程遠い下請け業者としての現実だけを突き付けられる中にあり、ここには喜びは共にせず不安と焦燥しかなく、とても未来が明るいその様な心持ちに至る事は出来ませんでした。我々の代わりは幾らでもいるので扱いが雑になる等は当たり前で結構辛い事もございました。辛辣が隣りにいますと休まる事は本当に難しくなりますね。
本当に。(頑張っても上手くいかない時はございます)
その様な生業の中で今度は私の家族が腎不全を患います。順当に移植を待ちますと2000番目以降という数字を聞いた時、それでは人生が終わってしまうではないか。。。と慟哭を伴い。また御本人もまだ幼き子を育てる段階での口惜しさや苛立ち、どうする事も出来ない焦りが私に伝わりまして腎臓の一つを分かち合う事となります。
(いやぁ~前後左右全部つらかったです。お金も無いし希望も持てませんし、しかし愛から逃げたくないからここからは逃げたい。そんな感覚を覚える毎日でもございました。)
また私にもお腹の中の次女や一歳の長女を抱える妻も居りましたので先の不安と葛藤が無かったと言えば嘘になりますが辛く長い道のりが余りに長きに渡り私を覆っていましたので此処でもう終わってもいいかな?自分が頂いた賜物を全う出来たらいいかな。。その様な想いも無かったといえばこれも嘘になるでしょう。
『移植手術の際には主治医が失敗して私の命を失っても文句は言わないという誓約書にサイン致しますので(笑)。』また私は1999年に洗礼を頂きましたキリスト者でもありますから善の内に閉じ御元に還る。。。この様な憧れもうっすらと持っておりました。)
※賜物といいますのは個人個人に備えられた性質や能力の事でもあります。タラントともいいますね。聖書に教えて頂きました言葉となります。※
入院中の病室に在りましては何も置かずに唯、聖書だけを取りて読み、静かにその時を待っておりました。それが31歳の時。何れに致しましても神様の導きと恵みの中に在りまして手術は成功。管だらけの私達。しかしその管が互いの命を繋いでくれました。
(特に私の腎臓を受けてくださった方が機械の様に壮絶であり、術後初の会話は余りの痛さに後悔しているという内容でした。笑っていいのかどうか解りませんが今は笑っておこうと思います ^^) _旦~~
差し迫る手術前に伝えたかった内面的な言葉は今回のお互いの試練の成果に一円の値打ちも付けないという私からの約束でもありました。対等を必ず維持しますという約束です。これを実現する為に長き考察の末に頂きました聖書的な考え方は『両者共、天の御国へと迎えられれば世界が変わるのですからドナーやレシピエントという立場を超えますのでお互いに貸し借りなど一切無くなるという考え方です。』
この様な希望をずっと胸に頂いている次第です。(聖書解釈への捉え方の工夫は天の御国を求める際に働いて頂ける恵であると同時に今現在の価値観や世界観だけで解決出来ない問題への対処方法の一つでもあると信じている次第です。)
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。マタイ6:33
屋根工房きのした女職人の方はこんな人
ずっとこの事業を共にして頂いております家内は出会った当初からよく笑う方で親御様やお友達の方にとても愛されて育ってこられたのだと信じれます。
家内の風無き場にあっても鈴を転がす様な笑い声、何事も一旦は受け入れて笑い飛ばす閃光の様な丹力がどれだけ私の至らなさの支えとなって頂けたか解りません。(大きな事から小さな事まで。)
本当に自分でも解らないくらいに、自分でも気付けてないくらいに、支えて頂いたのだと感謝しております。それを証するように全く悔しくもなんでもないのでありますが私より家内を褒め好かれる方が多く絶えませんでした。
家内は自然と動物をこよなく愛されておりまた神様からも愛されている無二の方でもありますし戦友でもあります。
(誰に誉ある事無き試練)
大きな手術の後、程なくして父が他界します。私との交わりの中で共に貧困に立ち向かってくださった父、都度私が教会で学んで来た教えや教義をかみ砕いて共有してくれておりました父、一番初めに私に愛を教えてくださった父が・・・。
今度は医療誤診にて命を落とす事になります。(誰にでも間違いは御座いますが受け入れ難い事・・・。この上無い出来事で御座いました。。。)
死に至りました病名は(壊死性筋膜炎)
今でもこの言葉を聞きますと哀しみが捲りあがって参りますが当時の私の力量では改善の糸口が視えない日常生活に良心は次第に麻痺して行き医療誤診とはいえ父が亡くなってしまえば楽になる。いや、まて、父はもう楽になるべきだなどと、親不孝の極みに到る心情も私は持ち得た事が御座います。
しかしながら持ち得た心情よりも父を失った喪失感の方がやはり強くここで私の人生の転機が起こり出します。もし、父が医療誤診にて命を落とさなければ今の私は絶対に在りえなかったと確信しております。
(※現在の私は医療は病を預かる物で命を預かる物ではないと解釈する事により医療誤診に対する平穏を頂いている次第です。これにより苦しい時こそ見方や捉え方を変えて行く癖がついて下さっている事に感謝する次第で御座います。現場の医療従事者の方は命を預かる仕事として誇りを持たれている事を否定するものではありません。
(父居てこその私。同時には奪われまい)
父が他界した後に3.11の震災が起こりました。それまで低賃金で私共は営んで参りましたからここぞとばかりに単身関東に向かいます。本当にたった一人で向かいました。
当時は人様に安心を届けるという想いよりも現状の家庭経済の状況打破が一番の目的となりますから高速道路をひた走る中で浮かび上がった想いは2つ。もし関東の地にあって生活の改善が計れなければホームページをやろう。(今皆様が御覧頂いているこのホームページです)もう一つはもう屋根屋を辞めよう・・。この二つの想いが揺れ動いておりました。
そうして小田原を過ぎた辺りで目の前に黒い大きなとばりが降りて来る感覚を受けます。このとばりは神様がこれ以上行くな。行かなくて良い。その様な啓示であると信じ。急遽引き返す事になります。それ程までに体験した事の無い現象でしたが決して心地の悪い物ではありませんでした。
道中のSAから家内に電話致しますと家内は事情を察してくれまして己の不甲斐なさと相まってか激しく嗚咽を漏らす帰路となりました。この出来事が私に信仰を下さった神様に拘り続けようとした最も大きな岐路となります。(不思議な事って誰にでもありますよね)
涙の谷を過ぎる時も
帰路にあり、歌い続けたこの賛美歌は一生涯忘れません
(youtube にもアップされていますので機会がございましたらご視聴下さいませ。またアップして頂いて感謝申し上げます。)
誤診あるまじきの狼煙上げ
ここからいよいよ父が他界した理由の一つ。誤診あるまじき。この想いを強く持ちホームページの作成に乗り出します。遅くまで付き合ってくれた従妹には何時も感謝しておりますし、想いが強すぎて不快な思いをされた方もおられましたらお詫びしたくまた事例を頂く度に熟考の機会を下さった施主様にも感謝の念は絶えません。(情熱が在り過ぎて湯気がでておりました)
その様な中で私の方向性を後押しして下さる作品とホームページ作成の少し前に出会う事となります。仁というTVドラマです。当時TVに全く興味の無い私がこのドラマの虜に成ってしまいました。それは何故か?(今は結構TVに出演されている方に掛け声が出ましたり応援したりしています。)
神は乗り越えられない試練は与えない(神は愛だからです)
この聖句(聖書)を用いたドラマだったからで御座います。また家屋の不備を直す者と人の病を治す者と場所の違いあれどその志にいくばくかの違い無しこの私念を持って実行に移して行く事となりました。
今また起とう
それから約10年以上の歳月が流れ沢山の恵みを頂きながらも闇を知る方また捕まる方の助け手となるべく様々な言葉を頂き、また起こして参りました。ですが今想う事は心の満ち足りる瞬間も魂が揺れ動く瞬間も永続的ではないという罪の強さを改めて知る事にも繋がって参りました。
(愛と活きる)
こちらが私がここに居る真意でもありキリストに在る者の使命そのものであると感じております。これらの歩みを伴い家屋の修理工事に於きまして、失いかけた物。失った物は必ず取り戻します。どうか取り戻させて下さい。
誇り踏まれも
詩
打ちのばし
削りとられも
型どった
ハートの鍵を
握りしめ
見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。
新約聖書
だれでも、私の声を聞いて開けるなら、
わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、
彼もわたしとともに食事をする。
『ヨハネの黙示録3:20』